なぜ、道を譲るのか

2017.11.7人間だと叫びたい

私はいつも、
朝の出勤ラッシュで
車に道を譲ろうと目を光らせる

その事を言葉にしているのは、
自らを正当化したいエゴから
来ているわけではなく、

しかし、何故道を譲るのか、
それが本当に正しいのか、
自分自身を検証したいから

その道はいつも、
朝のラッシュを象徴するかのように
人も車もみんながひしめきあう

信号がない道路の横断歩道

歩道橋を降りたすぐのところに
あるためなのかなんなのか

朝の9:30過ぎでさえ
数珠つなぎの人の群れ

見事なくらい、途切れない

おかげで、どんどん車も並ぶ

車の道が詰まり始めると、
大きな幹線道路にも影響が出る

大きな幹線道路の信号が
意味をなさなくなる

そんな様子を見て、
私はとある日、

あ、イマココだ

と動き出した

タイミングをうかがい、
ここぞという瞬間にのみ、
自らを急停車させるようになった

そうだな、
動き出したんじゃない

動いている慣習的な自分を
無理やりストップさせる
ってことにトライし始めた

チャンスは一瞬

私が人の群れの先頭を歩いていて、
対抗側からの歩行者が切れた、
そのほんの一瞬

そこで私が私を急停車できれば、

そして大行列の先頭にいる車の
運転手と目を合わせられれば、

ほんの少しだけど、
いろんな詰まりが解消される

その瞬間の全体の流れは
まるでシンフォニーのよう

いろんな色が同時になって、
美しい旋律を奏でるシンフォニー

先日なんか、
稀に見る機嫌よしの運ちゃんが
丁寧に私の方を見て、
頭を下げて挨拶してくれた

私も頭を下げる

単なる小さな礼儀だが、
これには相当ほっこり

人間はいい

なんでかそんな事を思った

確かに
草木とのハーモニーもいいけど、

人同士の疎通って、
なんか、アナログでいい

さて、私は一体
何故、車に道を譲ろうと
しているのだろう

毎日、ほんの一瞬しかない
タイミングに、なぜ、
そんなに意識を向けているの?

全体に奉仕する自分を
褒めてやりたい?

自分のやった感?

シンフォニーの一音?

それとも、たまーにいる、
愛想のいい運ちゃんとの
ほっこり?

いや、そうじゃない方がいい

願わくば、
全体の中の私が、
全体の一部となって

分離していると感じる
この時代を生きる自分自身に

そうじゃないからね
と、
語りたがっているような、

そんな、深遠なところからの
切なるメッセージだと思いたい

Posted by Mao